源頼朝が興した鎌倉幕府の宗社 国際観光都市鎌倉の中心施設として国内外から多くの人が訪れる |
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「鶴岡八幡宮」は康平6年(1063)に源頼義が源氏の氏神として京都の石清水八幡宮を由比ヶ浜辺に祀ったのが始まりとされる。その後、源氏再興の旗上げをした源頼朝は、 建久2年(1191)に鎌倉幕府の宗社にふさわしく上下両宮の現在の姿に整え町づくりの中心とした。 鎌倉を中心として興った武士の質実剛健の気風は日本人の精神性の基調となり、 現在では鎌倉の中心的施設として国内外より年間を通して多くの参拝者が訪れる。 |
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カテゴリ | おでかけガイド > 神社・寺 参拝 |
スポット名 | 鶴岡八幡宮 |
ふりがな | つるがおかはちまんぐう |
住所 | 〒248-8588 神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31 |
TEL | 0467-22-0315 |
ご祭神 | 応神天皇(おうじんてんのう) 比売神(ひめがみ) 神功皇后(じんぐうこうごう) |
ご利益 | 家内安全、商売繁盛、厄除け、交通安全、初宮詣、必勝祈願、家運隆昌、社運隆昌、身体健全、心願成就、病気平癒、合格祈願、開運厄除、無病息災、方除、工事安全など |
例年のお正月参拝者数 | 約250万人 |
アクセス | ●電車の場合
●車の場合 横浜横須賀道路 朝比奈I.C.より5km
●駐車場 普通車40台、大型車8台 |
公式ホームページ | https://www.hachimangu.or.jp/ |
年末年始案内 | ●1月1日 歳旦祭 歳旦祭とは元日の早朝に宮中および全国の神社で行われる年頭の祭儀です。新しい年を寿ぎ、皇室の弥栄と国家の隆昌、氏子崇敬者の安泰と世界の平和、その1年間の大神様のご加護を祈念するお祭です。 当宮の歳旦祭は、夜も明けようとする午前5時より齋行されます。 歳旦祭終了後、午前7時からは、舞殿にて神楽始式が行われ、例祭と同じく八乙女の舞が奉仕されます。
●1月1日~1月7日 御判行事(ごはんぎょうじ) 御判行事とは、当宮の御神印を額に押し当てることによって、病気平癒、厄除、無病息災を祈念するものです。またこの御神印によって頭脳明晰になるともいわれ、受験を目前にした学生が行事所に並ぶ姿も見られます。
●立春の頃 節分祭 本殿での祭儀において弓矢を授けられた神職が、下拝殿において古式に則り鳴弦(めいげん)の儀を奉仕し、その後で豆撒きが行われます。 これらの行事はいずれも悪鬼邪霊を追い払う意味をもち、新春を迎えるにあたり災厄を払おうという信仰です。 当宮ではこの邪気払いの意味を込めて、節分に先立つ直近の土日を含む3日間「鶴岡厄除大祭」を執行し、開運厄除と攘災招福の祈祷を下拝殿にて行います。
●4月2日 由比若宮例祭 由比若宮は元八幡(もとはちまん)とも呼ばれ、現在の地に八幡宮が遷る前のお社でした。源氏一族が古くから治めていた場所であり、古くは由比郷鶴岡(ゆいごうつるがおか)といいました。
この神社は、康平6年(1063)源頼義が「前九年の役」で奥州を平定した帰り、ご守護を祈って出陣した石清水八幡宮の御分霊をお祀りしたのが始めです。
治承4年(1180)10月、源氏再興を目指し鎌倉に入った頼朝公は、まず先祖が氏神としてお祀りした由比郷鶴岡のお社をご神意を伺って新しい町づくりの中心に相応しい、現在の地(大臣山の麓)にお遷ししました。
お遷りになった後も「縁の地(ゆかりのち)」での祭祀は続き、氏子崇敬者の参列のもと例祭が斎行されています。
●4月9日 丸山稲荷社例祭 丸山稲荷社は鶴岡八幡宮の末社で、古くからの地主神といわれています。建久2年(1191)に本宮造営の際、現在の場所にお遷りになりました。丸山社に到る階段には多くの鳥居が奉納され、願を込めて奉納された朱色の祈願旗が社殿地を囲んではためいています。崇敬の篤い(あつい)方々による「丸山稲荷講」も営まれ、参拝者が途切れることはないお社です。
●5月5日 菖蒲祭 『吾妻鏡』によると、当宮では文治3年(1187)5月5日に初めて節句の神事が行われたことを記していますが、現在の菖蒲祭がこれにあたります。 当日は氏子崇敬者の無病息災と延命長寿を祈念して午後1時より舞殿において神事が執り行われ、舞楽の奉納があります。またこの日は、子供の成長を祈る日であるとともに、子供達にお年寄りに対する敬慕の念を抱いてもらう日でもあるということから、当宮の敬老会の日でもあります。
●6月30日、12月31日 大祓 参列される方は神職と共に「大祓詞」を唱え、麻と紙を小さく切った切麻を身にまいて、半年間の罪穢を祓います。参列出来ない方は形代(かたしろ)、撫物(なでもの)、人形(ひとがた)などと呼ばれる人の形に切り抜いた紙に、氏名、年令を書き、息を吹きかけ身体を撫でたものと一緒にお祓いします。 6月の大祓には「茅の輪くぐり」が行われます。全国で行われている「茅の輪くぐり」については「備後風土記」逸文の蘇民将来の故事から起こったものと言われています。
●7月 七夕まつり 「七夕まつり」期間中には、当宮神職による「奉納雅楽演奏会」、7月7日には「七夕祭」を行っております。それぞれの願い事をお書き頂いた、梶の葉を模った色紙と、短冊型の絵馬が色鮮やかな五色の紐に結ばれてご神前に奉納されます。上宮の楼門内や舞殿の四方には、彩り豊なくす玉と吹流しなどの七夕飾りが笹竹に掲げられ境内は更に賑わいをみせます。七夕祭でお供えする神饌には、ウリやナス、ササゲなど古式に則り、季節の食材を用い、机上には琴や琵琶などの楽器を手向け、巫女による神楽も奉奏されます。
●8月 ぼんぼり祭 ぼんぼり祭は、毎年8月に立秋の前日から9日までの3日間(年により4日間)行われる、鎌倉の夏の風物詩ともいえるお祭です。 期間中、立秋の前日には夏の祓いである夏越祭、立秋当日には暦の上での秋の訪れを奉告する立秋祭、そして源実朝公の誕生日である9日には実朝祭が執り行われます。 境内には鎌倉在住の文化人をはじめ各界の著名人に揮毫いただいた書画約400点がぼんぼりに仕立てられ、参道に並びます。 夕刻になるとぼんぼりに灯りがともされ、境内は夜まで賑わいます。
●9月14日~9月16日 例大祭 『吾妻鏡』によれば、文治3年(1187)8月15日に放生会(ほうじょうえ)と流鏑馬が始行されたとあり、これが当宮例大祭の始まりとなります。以来絶えることなく800年の歴史と伝統が現在に伝えられており、一年を通して最も重い祭事です。
●9月16日 流鏑馬神事 鎌倉武士の狩装束に身を包んだ射手が、馬で駆けながら馬場に配された3つの的を射抜く勇壮な神事で、源頼朝公の時代より800年の伝統を受け継いでいます。弓馬術礼法小笠原教場宗家の小笠原清忠氏ほか一門のご奉仕により、鎌倉時代さながらに執り行われます。
●12月16日 御鎮座記念祭 夕刻5時の本宮での祭典の後、舞殿北庭でその当時唱えられた「宮人曲」を復元して神楽が奏され、舞楽「人長の舞」も奉奏されます。浄暗の中、かがり火に映える舞姿はまことに優雅で、800年前の幽玄な世界が偲ばれます。
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料金 | ●宝物殿拝観 宝物殿拝観の場合※()内25名以上団体料金 大人:200円(120円) 中高校生:100円(80円) 小学生:無料 未就学児童:無料 |
備考 |
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「深い杜の緑と朱色の鮮やかな御社殿」 深い杜の緑と鮮やかな御社殿の朱色が調和する境内には源頼朝公、実朝公をお祀りする白旗神社をはじめとする境内社のほか、 静御前ゆかりの舞殿や段葛が八百年の長い歴史を伝えています。 |
「本宮の楼門」 現在の御本殿は、文政11年(1828)、江戸幕府11代将軍徳川家斉の造営による代表的な江戸建築で、 若宮とともに国の重要文化財に指定されています。
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「八幡様のお使いの鳩」 鳩は八幡様の使いとされています。本宮の正面に掲げられた扁額の「八」の 字も、二羽の鳩が向かい合う姿になっています。
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「舞殿」 静御前が源頼朝に舞を命ぜられ「吉野山みねのしら雪踏み分けていりにし人のあとぞ悲しき」と義経を慕う歌を詠み心を込めて舞った、若宮廻廊跡に建ち、下拝殿とも言います。 |
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「大銀杏」 平成22年3月10日未明、樹齢1000年といわれ、八幡宮の長い歴史を見つめてきた大銀杏が、雪混じりの強風によって倒伏しました。高さは推定30メートル、幹の太さは約7メートルあり、朱塗りの社殿と並ぶようにそびえた立つその姿は、多くの参拝者の記憶に残っています。 |
「源平池の蓮の花」
夏には、美しい蓮の花が源平池に咲き、心が洗われる景色となります。 |
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「源平池」 鶴岡八幡宮の源平池は、1182年(寿永元年)、源頼朝の命により、弦巻田という田を池にしたと伝えられています。
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「源平池に映える桜」 鶴岡八幡宮の桜(ソメイヨシノ)は3月下旬から4月上旬が見ごろ。 |
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「大石段」 大石段を登ると上宮、ここからは、鎌倉の街を一望できます。更に空気の澄んだ晴れた日には伊豆大島を見ることが出来ます。三代将軍源実朝は、参拝を終え大石段にさしかかった所で大銀杏に隠れていた公暁に襲われたという伝説が残っています。 |
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